群馬県の山本一太知事が18日、自民党による裏金作りは「森派」から始まったとの見解を示しました。
この日、山本一太は文芸春秋電子版のオンライン番組に出演し、自民党の裏金問題について触れ、「始まったのは間違いなく(安倍派前身の)森派が始まってからだと思う。会長の了解なくできるわけないんで、森(喜朗)さんが知らないはずがないというのが私の感覚だ」と述べました。
清和会の歴代会長
・福田赳夫(福田派)1979年1月~1986年7月
・安倍晋太郎(安倍派)1986年7月~1991年6月
・三塚博(三塚派)1991年6月~1998年12月
・森喜朗(森派)1998年12月~2006年10月
山本一太は、父である山本富雄の死去に伴い、1995年の参院選に立候補して初当選を果たし、森派の前身・三塚派に所属していました。
自らはパーティー券収入のキックバックを受けてないと説明した上で、「三塚さんのときに(派閥内での)キックバックはまったく記憶にない」と話しました。
また、政治倫理審査会で、出席した幹部らが森喜朗元総理との関係を証言しなかったことについては「永田町から離れると、なぜ皆分かっていることを言わないのかとても不思議だ。本当に自民党のことを思うなら話すべきだ」とも述べました。
このように山本一太は、自身の潔白を主張するとともに、森喜朗が実効支配する前の清和会では裏金作りはなかったとしていますが、ポストセブンの報道により、安倍晋太郎の時代からすでにキックバックが習慣化されていたことが明らかになっています。
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元々、自民党は「親中国派」と「親台湾派」に勢力が大きく分かれており、戦後間もない頃は反共産主義の立場から中国を警戒し、台湾との国交継続を求める議員たちが大勢いました。
1973年には台湾支持の立場をとる派閥「青嵐会(せいらんかい)」が自民党内で作られ、中川一郎や森喜朗、石原慎太郎、浜田幸一など、多くの議員が所属しました。
最終的に青嵐会は、1978年の日中平和友好条約の締結に伴い、親中の福田派に近くするメンバーと、あくまでも反中共の姿勢を貫こうとするメンバーとで分裂が生じ、1979年に消滅しました。
青嵐会の主なメンバーだった中川一郎は、1983年に札幌パークホテルのバスルームで不審な死を遂げ、息子の中川昭一は、G7に出席するためにローマを訪れた際、何らかの毒物を盛られて失脚、その後間まもなくして自宅で死亡しているのが発見されました。
また、森喜朗と石原慎太郎は度々、失言をマスコミに大きく取り上げられて猛批判を浴び、がんを患うなどといった共通点があります。
◯元東京都知事・石原慎太郎は中国共産党に殺害された可能性大!! 生前、中共のスパイ・孫正義の計画した太陽光発電に猛反対していたことが判明
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一方で、山本一太は言わずと知れた親中派で、父親とともに同郷の福田家と近くし、日中交流イベントにも積極的に出席しています。
過去には、中国に向けて「群馬県民が全員で中国からの観光客をお迎えしたい」と語ったこともあります。
◯【群馬県・山本一太知事】日中交流イベントに来賓として出席「群馬県は国籍に関係なく、あらゆる文化に門戸を開いており、共生・融和・平等の社会を望んでいる」と述べる
◯群馬県・山本一太知事、「ベトナム人に選ばれる群馬県を目指す」と表明 ベトナム人コミュニティなどへの広報事業に注力する意向を示す
196万人の群馬県民が全員で中国からの観光客をお迎えしたい?
嘘だろ山本一太! pic.twitter.com/ih02VWmIUA— 三木慎一郎 (@S10408978) February 7, 2022
このように裏金事件には、以前から続く自民党内の勢力争いが複雑に絡み合い、それぞれの政治家たちが自身の派閥に都合のいい発言をして国民を翻弄しているものと考えられます。
不正行為を繰り返す政治家たちが一人残らず一掃され、国民の益となる真っ当な政治が行われますことを心から祈ります。
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