ルリスと言い争いをした数日後、プレトは職場で装備を受け取った。
「重くなってごめんね」と、チユリさんが渡してくれた。
確認してみると、通常の装備よりもかなり充実している。予備も多く入れられていて、何かが故障しても不足することはなさそうだ。
「こんなに沢山、ありがとうございます」
プレトは感謝を伝えた。そして、 装備品をいくつか取り出しているうちに、あるものが入れられていることに気付いた。
「え! これって、ポケットムイムイですか」
「そうよ。奮発したの」
ポケットムイムイは貴重品だ。ムイムイをまとめて固めたもので、通常のムイムイと同じように、濁ったシャボン玉のような色と、グミのような質感をしている。自重で少し潰れていて、大きな饅頭のようだ。重くて浮かばないので、木箱に入れられている。これを少しずつちぎり、携帯電話や通信機の本体にくっつけて使うのだ。
通常、ポケットムイムイは、1つの採取チームにつき1つだけ携帯が許されている。個人で所持できることはないに等しい。
「ムイムイはどこにでもあるから大丈夫だとは思うけど、風向きの関係で捕まえられないタイミングもあるだろうしね。だから持っていって。これがあれば、私もあなたといつでも連絡が取れるし」
「本当にありがとうございます。大事に使います」
「旅立つ若者へ、せめてものはなむけよ」
チユリさんは優しい笑顔でそう言った。
プレトは自宅で溶液を作りはじめる。ラピス溶液と成分が同じだったあの溶液だ。あると便利そうだから、装備に加えようと思ったのだ。でも、追放のきっかけになったものを持っていくのは不思議な感じがする。
ルリスにもそれを渡しておきたかった。この溶液は友人にとっても役立つだろうし、一応、連れて行けないことへの謝罪の気持ちも含まれている。実は、出発前に挨拶がしたいと、ルリスから先ほど連絡があったばかりだ。
プレトは作りはじめた。
材料は、オオザリガニモドキが脱皮した甲羅と、エノキマイマイの殻、ヨセフという品種のアンズ、その辺に生えているミント、ラベンダー、シソ、ドクダミ。
香りを良くするために、ラベンダーを倍量にして、あとはだいたい同じ分量を鍋に入れた。これらを全体が浸る程度の湯量で10分間、沸騰させればいいだけだ。
できあがった液体を冷まし、適当な空き容器に入れておけば、常温保存で1ヶ月間は使える。プレトはすぐに使えるように、百円ショップで購入したスプレーボトルに入れた。これを2つ用意する。
天然の虫除けとしても使えるし、衣類などの消臭効果もある。余ったものを破棄する場合は地面に撒いても問題ない。ちなみに、煮詰めた後の甲羅類は全て可燃ゴミで処理できる。
「これとラピス溶液が同じなのか…」
プレトはひとりごちた。
これらの材料は、タイミングがよければプレトの自宅の庭でほとんど揃えることができる。ヨセフアンズは一番メジャーな品種なので、近所のスーパーで買うこともできる。
まだ試してはいないが、ヨセフアンズをマリヤアンズに、エノキマイマイの殻をシイタケマイマイの殻に置き換えたとしても、同じ効果の溶液ができあがる気がする。
プレトはある目的のために、また自身の実験欲を満たすために、手近な材料で試行錯誤し続けた結果、この溶液にたどり着いたのだった。
それが偶然にもラピス溶液と同じだったとは。材料まで完璧に同じかは不明だが、とりあえず成分は同じだった。「事実は小説よりも奇なり」とは、よく言ったものだ。
あの製薬会社は、ラピス溶液の成分を偽っているに違いない。本当はどこにでもある材料で、誰でも簡単に作れるものなのに、貴重な材料と高度な技術が必要だと偽り、パラライトアルミニウムを管理している会社に高値で売り付けているのだ。
それに気付いたプレトが邪魔になるのは当たり前だ。
製薬会社は資源省の管轄だし、広い目で見ると法務省とも繋がりがある。プレトがこの数日間で少し調べただけでも、製薬会社と法務省のお偉いさんが、お互いの子どもを結婚させているのが分かった。きっと、他の省庁や大企業でも、似たようなことをしているに違いない。庶民の知らないところで、国の上層部はみんなズブズブなのだ。
「まあ、それを知ったところでね」
プレトはまた、独り言を言う。
今回の命令のように、彼らは一瞬で庶民の人生を貶めることが可能なのだ。必要ならば口封じだってできるだろう。それだけの権力がある連中なのだ。すぐに消されなかっただけ、まだマシかもしれない。
ピンポーン
玄関のベルが鳴った。
インターホンにはルリスが映っている。
応答せずに玄関に行ってドアを開けると、ルリスが大人しく立っていた。
プレトが「どうぞ上がって」と声をかけると、「お邪魔します」と小さな返事が帰ってきた。
いつもなら元気一杯にずかずか上がり込んで、ドリンクの用意をしてくれるのだが、今日は借りてきた猫のようにもじもじしている。
気まずい。
気まずさを紛らわすために、プレトの方から話しかけた。
「さっきスーパーでジュース買ってきたんだけど、飲む?」
「うん」
プレトはジュースを取りにキッチンへ向かう。スーパーの袋からペットボトルを2本取り出し、ルリスに見せながら訊いた。
「味なんだけどさ、ほうれん草ババロアと、洋梨セロリ、どっちがいい?」
「え?」
すっとんきょうな声を上げるルリスに、もう一度訊く。
「ほうれん草ババロアと、洋梨セロリのどっちがいいかな」
「いや、ちょっと待って! チョイスのクセが強すぎるよ!」
「新商品らしいぞ」
「その会社の商品開発部門はどうなっているの?」
ルリスがそう言いながら吹き出した。プレトもつられて吹き出す。ウケ狙いで買ったのだが、作戦は成功したようだ。
「両方、半分ずつ飲もうよ」
ルリスが笑いながら言うので、そうすることにした。
「意外と悪くないかも」
「私も同感」
プレトとルリスはソファーに並んで座り、ジュースをシェアしあう。ルリスが言った。
「ほうれん草ババロアは、ババロアの中にほうれん草の苦味がほんのり効いてる感じで、大人受けがよさそうだね」
プレトも感想を述べた。
「そうだね。洋梨セロリも、洋梨ベースにセロリのクセがスパイスになってて、案外、若い女性が好きそう」
「わたしもそう思う」
ハズレだと思って買ったものだが、意外と口に合ったので驚いた。ジュース効果で気まずい雰囲気もなくなってきた。
ルリスが質問する。
「明日出発するの」
プレトは答える。
「うん。午前10時頃かな」
「そっか」
「ちょっと待ってて」
プレトはそう言って、散乱した実験器具の中から、例の溶液の入ったスプレーボトルを取り出した。
「これ、あげる。虫除けに使えるから。ルリス、虫刺されの跡が残りやすいでしょ。あと、服の消臭にも使えるよ。常温で1ヶ月ね」
「え、ありがとう」
ルリスは素直に受け取り、スプレーボトルをぎゅっと握りしめる。
「あの大荷物が装備かな。見てもいい?」
ルリスが興味津々と尋ねてくる。
「いいよ」
プレトが答えると、ルリスは立ち上がり、フローリングにできた荷物の山に近付いていった。プレトも後をついていく。 ルリスが一つ一つ手に取って質問するので、プレトも一つ一つ答えていった。
「これはなに」
「ポケットムイムイだよ。貴重品なんだけど、特別に持たせてもらえたんだ」
「こんなの初めて見た。プロの装備はすごいね」
「ポケットムイムイがあるから、私が出発しても、普通に連絡は取れるよ」
ルリスがプレトの顔を見てきたが、プレトにはルリスの感情が読み取れない。 プレトは、ルリスの視線を自分から逸らそうとして言った。
「これ見て。すごいでしょ」
「もしかして潜水装備? 水に入るの?」
「実際に使うかどうか分からないけど、一応、用意してくれたんだ」
「そっかあ」
ルリスは、ほうれん草ババロアを飲んでいる。随分と気に入ったようだ。 プレトは考えていたことをルリスに伝える。
「私がいない間、ここに住みなよ。実家、危ないんだから」
「あー、うん……」ルリスは歯切れが悪い。 プレトはルリスの身を案じて言った。
「食器を投げつけるのは暴行罪になるからね。ご両親をこんな風に言うのは申し訳ないけど、危険人物から離れるのは、当たり前のことだよ」
「うん」
「今までしょっちゅう来てたんだから、今さら遠慮する必要ないぞ。今日帰ったら、荷物まとめて」
「うん、ありがとう。そうする」
ルリスはしんみりしている。
プレトは出発前に、元気なルリスが見たかった。だから、わざと元気に振る舞った。
「私が帰ってきたらそのまま同居すればいいし、当初の目的はそれで達成だぞ」
「そうだね!」
「さっさと帰って来るから」
「うん!」
ルリスがわざと元気に返事をしているのが分かった。プレトが空元気なのも、きっとルリスは気付いているだろう。 だが、どうすることもできない。 プレトは喉がつまり、それ以上、声が出なかった。そして、これっきり会えないかもしれないルリスの顔を、必死で目に焼き付けようとした。
(第6話につづく)
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