【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第50話・輝く人」by RAPT×TOPAZ

【連載小説】プレトとルリスの冒険 – 「第50話・輝く人」by RAPT×TOPAZ

レインキャニオンの端っこに立ちすくみ、これからどうしたものかと二人で考えあぐねていたが、何も思いつかないうちに日が暮れてしまった。安全を考慮し、今夜はレグルスで車中泊をすることにした。ルリスが寝袋にくるまり、ひとりごちた。
「虹まで行って、虹を齧れれば、プレトが治るかもしれないのに……」
レグルスの中に沈黙が訪れる。プレトは頭まで寝袋にすっぽりと入った。しかし、早く休みたいのに、脳髄は一瞬たりともまどろむことがなかった。問題が余りにも山積しすぎている。虹も採りたいし、病気も治したいし、スパイク肺炎ワクチンの供給も阻止したい。でも、どれも達成できる道筋が見えなかった。アメーバのような武器への対抗策を発見し、勢いづいたと思ったのも束の間。障壁は次々と目の前に立ちはだかってくる。プレトはぎゅうっと目を瞑った。何もかも投げ出してしまい気持ちだった。

目を開けると、なぜか森の中で三角座りをしていた。一人だった。夜の闇に包まれてはいるが、昼間に襲ってきた植物が、すぐ目の前にあるのが分かった。プレトは驚き、両手で口を覆った。あれに鞭打たれたら、骨が砕けるかもしれない。
恐怖で震えていると、服が触れ合うほどすぐ近くで誰かがしゃがんだ。横目で確認すると、いつも幻の中で出会うあの少女だった。
「あっちは、わたしたちを認識できていないから大丈夫だよ」と、少女が言った。
「そっか……君がいるってことは、これは幻? レグルスの中で寝てたはずなんだけど」
「お姉さんの肉体はレグルスで寝ているよ」
「肉体は? ……じゃあ、今の私は?」
「肉体の中身みたいなものだね」
幽体離脱のようなものかな……と、プレトは思った。
「仮眠を取ったときも会ったけど、また来てくれたんだね」
「今回はね、ある人のところに案内しようと思って来たの。お姉さんが困っているから、アドバイスをくださるんだって」
少女が立ち上がりながら言う。
「こんな泥だらけの森の中に、誰かが住んでるの?」
「ここじゃなくて、別のところにいらっしゃるの。わたしがお姉さんの案内役だよ」
少女に手を引かれ、立ち上がり、そのまま森の奥に連れられていった。プレトは歩きながら、あることに気がついた。
「空気がぬめぬめしてない」
「お姉さんが頑張っているから、あの空気はもう吸わなくて済むと思う」
「それはありがたい……でも、頑張ってることは頑張ってるけどさ、壁にぶち当たってばかりなんだよね」
プレトは溜め息をつきながら言った。
「頑張ってるから壁にぶつかるんだよ。頑張っていない人の前には、壁は現れないからね」
森の奥から突然、エレベーターが現れた。周りの景色から完全に浮いている。少女はエレベーター横の上りボタンを押した。というか、上りボタンしかない。
「乗っても大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。わたしも一緒に行くから心配しないで」
「あ、はい……」
エレベーターの扉が開き、少女が乗り込んだ。プレトもそれに倣う。背後で扉が閉まると、エレベーターは上昇を始めた。それは何の変哲もない、よくあるエレベーターのように見えたが、なぜか乗っているうちにじわじわと、胸のあたりが温かくなるのを感じた。胸から背中にかけて温かくなると、今度は手足の先から温かくなり、とうとう全身がぽかぽかしてきた。自分でも身体が熱を放っているのが分かる。だがそれは、体調不良で発熱しているわけではなさそうだった。
「温泉に入っているみたい。すごく不思議……ベールに包まれているような感じもするし、なんて言えばいいんだろう」と、プレトは呟いた。
「気持ちいいよね。到着までに時間がかかるから、これ飲んでて」
「ああ、いつものドリンクバーね……Fだっけ?」
そう言いながら、少女が差し出したコップを受け取った。どこから取り出したかはわからない。
「フィグのFだよ。イチジクのこと」
「……あ、とろみがあっておいしいね」
ちびちびとジュースを飲んでいたが、身体の温かさがあまりにも心地いいので、思わず目を瞑ってしまう。プレトはエレベーターの壁にもたれるように三角座りをすると、目を閉じ、今まで味わったことのない幸福な感覚に身をゆだねた。心に負った傷を一つ一つ丁寧に手当てされているようで、みるみる回復していくのが分かった。ルリスにも、この体験をしてもらいたいなと思った。

「着いたよ」
少女に起こされた。いつの間にか本当に眠ってしまっていたらしい。プレトが立ち上がると、エレベーターの扉が開いた。
一歩外に足を踏み出すと、エレベーターの中で感じていた温かさが一層強くなった。あたり一面には、手入れされた低木が規則正しく植えられていて、美しい道を作っている。少女の一歩後ろを歩いていたが、地面が余りにすべすべしているので、気になって足元に視線を向けた。ところどころに渦巻き状の模様が見て取れる。これはもしかして……
「そうだよ、渦巻きはアンモナイトの化石。ここの地面、大理石なんだって」プレトが話す前に、少女が答えを教えてくれた。磨かれた大理石が、前方から注がれる明かりを反射し、二人の歩みを祝福してくれているかのようだった。それに、エレベーターから降りたときから、ずっと物凄くいい香りがする。
「この香りは沈丁花だよ。周りにある低い木は、ぜんぶ沈丁花なの」
少女が再び、先回りして教えてくれた。満開の沈丁花に囲まれて、大理石の上を歩くなんて……この上ない贅沢に思えた。しばらく歩くと、少女が立ち止まり、こちらを向いて言った。
「あちらにいらっしゃるの」
「あちらってどちら? 眩しくてよくわからないけど」
「その眩しい方が、アドバイスをくださる方だよ」
「え?」
まだ距離があるが、前方が太陽のように眩しい。いや、太陽よりも眩しいかもしれない。前から来ている明かりは、その人が発しているものだったのか。それに、少女の言葉から察するに、とても偉い人のようだ。
「そうだよ。全部の中で、いちばん偉くてすごい方だよ」と、少女は言った。
「君は考えを読むのがうまいね。えーっと……私、ジャージなんだけど大丈夫? 失礼になってしまうよね……でも戻ったところで、別のジャージかスウェットくらいしかない」
「全部ご存知だから大丈夫。近付けるところまで近付いてみようよ」
それからまた少し歩みを進めたが、あまりの眩しさに目を細め、プレトは立ち止まった。
「ここまでにしようか」
少女がそう言うと、輝く人がこちらを向いたのがなんとなく分かった。ぼんやりとシルエットが見えるが、男性のようだ。そのとたん、プレトは無性に恥ずかしくなった。照れているわけではなく、自分の存在自体がとても恥ずかしく思えたのだ。なぜかは分からないが、自分にはこの輝く人の前に立つ資格も、会話する資格もないと思った。唇を結んでうつむいていると、プレトの左側にたくさんのホログラムのようなものが現れた。チラチラと光りながら飛び交っている。
「元気づけてくださっているよ」
少女が教えてくれた。
「そうなんだ……ありがたい……」
それを見ていると、ホログラムが増え、動き回り、ピンクのレグルスを形作った。その中にいるルリスの寝顔を見たとき、プレトは思わず言葉をこぼした。
「レインキャニオンが恐ろしいんです。森の中みたいに危険な動植物がいたら、二人ではどうしようもないよねって、友人と話していたんです。虹を少し齧れば、私の体も解毒されるかもしれないのに……友人は、私が治るのを楽しみにしてくれているのに……」
そこまで話すと、輝く人がゆっくりと頷いた気配があった。するとホログラムが、森の中にいた獰猛な植物を形作った。さらに、別の白いホログラムの塊が、獰猛な植物の上に落ちてきた。
……これはどういうことなのだろう。
プレトが思考を巡らせていると、少女が話しかけてきた。
「明日の朝にオルタニング現象を起こすから、目が覚めたら森の中に行って、安全なところから植物を観察するように……って仰っているよ」
「観察……」
「それでね、アメーバみたいな武器に対抗したでしょ? それを応用しなさいとも仰っているよ」
「あれを応用……」
「お祈りしながら頑張りなさいって、仰っているよ」
「お祈りしながら……はい……頑張ってみます」
「それじゃあ、戻ろうか。ここは素敵すぎて長くいられないの」
「え、もう?」
少女が来た道を引き返しはじめたので、プレトは慌てて輝く人に深々とお辞儀をした。踵を返し、少女を追いかける。歩きつつ、与えられたアドバイスを忘れないように反芻していると、男性の声が聞こえてきた……いや、聞こえたというより、脳に直接話しかけられたような感覚だった。

『あなたたちを必ず守る』

ハッとして振り返ると、もう輝く人はいなくなっていた。だが不思議なことに、その声は輝く人の声だという確信があった。プレトが今まで聞いた声の中で、いちばん力強く、熱かった。エレベーターに辿り着くと、少女がボタンを押した。今度は下りボタンしかない。少女と一緒に乗り込むと、突然、睡魔に襲われた。さっきも寝たのにどうして……
「このままお姉さんを肉体に返すから、安心して寝ていいよ」
少女が微笑みながら言った。
「……分かった。案内してくれてありがとう」
「35日は飲まないでね。頑張ってね」
プレトは一度うなずくと、立ったまま目を閉じ、何もかもを温かな感覚にゆだねた。一切の心のゆらぎもなく、ずっとこうしていたいと思った。

(第51話につづく)

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