プレトは警察に連絡をする。一応、救急車も来てくれることになった。
「今度はまともな警官だといいな……」
連絡を終えてルリスに言うと、友人は意味ありげに首をかしげた。
プレトはルリスと共に、レグルスの周りをぐるっと一周しながら、携帯電話で次々と証拠写真を撮っていった。愛車は、後方が大きくへこみ、右側はひしゃげ、ガラスもバキバキに割れ、全体的に歪んでいた。
「これは、本当にひどい……プレトが無傷なのは奇跡だよ」ルリスが顔をしかめて言った。 「そういえばレグルスの事故って、あんまり聞いたことないかも。センサーが付いているのに、どうして事故になったんだろ」
「……私も聞いたことないな」
なぜお互いのセンサーが反応しなかったのだろう。片方だけの不調なら、まだあり得るかもしれないが、2台のレグルスが同時に故障するなんて、どのくらいの確率で起きるものだろうか。
「しかも当て逃げだし」とルリスが言って、 眉間にシワを寄せる。
プレトは気がかりだったことを打ち明けた。
「あのさ、実はクリームを預けた動物病院の辺りから、黒いレグルスが2台で後をつけてきている気がしてたんだ。私にぶつかったレグルスも黒で、2台一緒に行動しているように見えたし」
ルリスが神妙な顔をして見詰めてくる。
「だから、わざとぶつけられた可能性があると思う。理由は分からないけど、もしかしたら私、あいつらに恨まれているのかも」
プレトは話しながら、自分の中でふつふつとマグマが煮えるような怒りを覚えた。
「じゃあ、つまり、わざと当て逃げしたってこと?」
「その可能性はあると思う」
「……」ルリスは黙って下唇を噛んだ。
プレトは「これも、あくまでも予想だけど」と、前置きをした上で言った。「ホテルの駐車場でさ、怪しい奴らがいたじゃん。私のレグルスのセンサー、あの2人組の男に壊されたのかも」
「……」ルリスは相変わらず下唇を噛んだまま、両目を強く閉じた。
林道は相変わらず薄暗かった。2人以外には誰も人のいる気配がない。プレトは無言で、ルリスの額に右手を当てる。熱はまだ下がっていないようだ。
「……まだ熱あるね。ルリスのレグルス、路側帯に移動できるかな。中に座ってたほうがいいよ」
ルリスは頷くと、自分のレグルスを移動させるために歩き出した。
プレトはルリスの背中を見ながら、彼女が巻き込まれなくて本当によかったと胸を撫で下ろした。熱を出していても、彼女の操縦テクニックはピカイチだ。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる……
数人の警官が事故の状況を調べはじめた。
プレトはピンクのレグルスの傍に立って、警官の質問に答えていく。 当て逃げされたこと、なぜか両者のセンサーが反応しなかったこと、ルリスが無事だったこと、何者かにストーカーされ、わざとぶつけられた可能性があることなどを一通り説明した。
ルリスは眉間にシワを寄せたまま、操縦席で心配そうにプレトの様子を見守っている。
警官がある程度の質問を終えて離れていくと、プレトはルリスに話しかけた。
「体調はどう?」
「いや、私よりプレトの方が……」
「私は無傷だから、心配しないで」
そう言った瞬間、 ふとチユリさんがお祈りしてくれたお陰で助かったのかも知れないと思った。
「わたしの風邪はすぐ治るけど、腸が煮えくり返るのは……収まりそうにない」
ルリスはそう言って、しきりに両手で両ひざをさすりはじめる。やり場のない怒りを、なんとか抑えようとしているようだ。 それはプレトも同じだった。取り調べの最中も、つい足の爪先で地面を叩いてしまう。犯人が逃げてしまったので、怒りの矛先をどこにも向けられない。警官が再びプレトに話しかけてくる。
「センサーが反応しなかったとのことですが、様子を見る限り、もともと壊れていたようです。整備不良ではないですか?」
「……車検にはきちんと出していました。それに、壊された可能性があるとお話したはずですが」プレトは眉間にシワを寄せ、深呼吸をして答えた。 警官は続ける。
「徐々に近付いてきていることは、分かっていたわけですよね」
「はい」
「その時点で、ハンドルを切って衝突を避けることができたはずですが」
取り調べの雲行きが怪しい。
「それは……」
「なぜホバリング機能を使わなかったのですか? 使えば回避できたはずです」
「……間に合いませんでした」
「そうですか」
警官は冷たく言い放つと、わざとらしくため息をつき、書類に何かを書き込んでいった。
「あなたにも充分、過失があるように思えますが」
「……」
予想していた通りのことを言われてしまった。 プレトが内頬を噛みながら、どうしたものかと考えはじめたとき、ルリスが突然 「被害者になんてこと言うの!」と、大きな声で怒鳴った。 プレトも警官も、思わずルリスに顔を向ける。ルリスが大声を出すなんて、とても珍しいことだ。ルリスは続けた。
「ぶつかるほうが悪いに決まってるでしょ! しかも逃げたんですよ!」
「そうですが……」
警官の言葉に被せるように、ルリスは捲し立てた。
「車載カメラの映像は確認したの? 早く捕まえなさいよ!」
「もちろん確認しますし、犯人も捜索します」
警官はやたらと偉そうだった。プレトもそんな彼の態度を見て、「まだ確認してなかったの?」とつい愚痴をこぼしてしまった。警官は2人に対して明らかに苛立っていたが、仕方なさそうに車載カメラの映像をチェックしはじめた。
「言われるまでやらないんだ……」プレトは呟きながら、身体の力が抜けていくのを感じた。
一昨日に引き続き、警官の態度が悪すぎる。この国からは正義が失われてしまったのだろうか。
やがて若い警官がこちらに近付いてきて、黒色のレグルスの逃げ去る様子が確認できたと報告してきた。 取り調べをしていた警官は、なぜかばつの悪そうな顔をしたが、渋々といった感じで書類に報告の内容を書きとめていく。普段搾り取られている税金が、この警官たちの懐に入っているのだと思うと、プレトはめまいがしてきた。
「映像を確認した限りでは、当て逃げである可能性が高いので……」
ルリスが警官の言葉を遮った。
「高いんじゃなくて、当て逃げなの! しかもわざとね!」
ルリスの両頬が赤くなっている。警官は眉をひそめながら言った。
「改めて確認しないと分からないこともありますので」
「当て逃げなのは見れば分かるでしょ! ムイムイだって分かるよ! バカなんじゃないの?!」
ルリスの息が荒い。風邪をひいているのに、慣れない口喧嘩をしているからだろう。 警官はこめかみに青筋を立てている。
「あなた、ちょっといい加減に……」
一昨日の冤罪の件もあってか、ルリスの怒りが止まらない。
「いい加減にすべきなのはあなたたちの方でしょ! 友だちが殺されかけたのに、まともに捜査もできないなんて!」
警官の鼻息が荒くなった。
「それ以上、暴言を続けるなら、公務執行妨害になりますよ」
「いや、暴行も脅迫もしていないんだから、なるわけないし」
プレトが静かに割り込む。ルリスが怒ってくれたお陰で、頭にのぼっていた血液が少しずつ下りてきたようだ。
「被害者をいじめるほど暇なら、ホテルの駐車場の防犯カメラも、きちんと確認しなさいよ!」
ルリスの声が鋭く響いた。
プレトとルリスは、レッカー車で運ばれていくレグルスをじっと静かに見送りつづける。
一応、今回の事故による損失は、全て保険で賄われるらしい。レグルスは滅多に事故が起きないので、安い保険料で手厚い補償を受けられるのだ。
結局、現場の写真も、車載カメラの映像も、ホテル駐車場の防犯カメラも、警察署に戻って精査するとのことだった。今までトラブル続きだったので、データをうっかり、いや、故意に消失されるのではないかと心配でならなかった。
「私のレグルス……」プレトは呟いた。 いくら保険が下りるとはいえ、愛車が返ってくるわけではない。プレトのことをウチワモルフォからも、事故からも守ってくれた優秀なレグルスが廃車になってしまった。
命令書が届いたとき、地獄への片道切符だと思ったが、とうとうレグルスまで失ってしまった。 プレトの口から、つい自分自身をなだめる言葉がこぼれ出てくる。
「中古で……一番安いものを……適当に……買っただけだから……動く無機物が……動かない無機物に……なっただけだから……」
プレトが背中を丸めて目を閉じている間、ルリスが黙って肩を抱いてくれた。
(第16話につづく)
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