
この問題は甘くないというプレトの予想は当たった。数日間のうちに、家の周りの様子が変わってしまったのだ。先ずデモの翌日、ゴミ捨て場が荒れていた。出勤してきたチユリさんが、異臭に気が付いて確認したところ、とっくに回収されているはずのゴミがそのままにされていて⋯⋯いや、正確にはそのままではなく、ゴミ袋が破れて中身が散乱していた。薄く積もった雪がゴミの水分で茶色く変色し、嫌なにおいが鼻をついた。夏だったらもっと辛かったかもしれない。
どうやら、コギト人たちがゴミ収集車を囲って足止めしたらしい。営業妨害などで通報されたが、事情聴取だけですぐに解放されてしまった。ゴミの中身が散乱していたのは、わざと破ったからだろう。きっと、集団で嫌がらせをしているのだ。
ゴミの問題とは別に、付きまといの被害も増えたらしい。登下校中の学生がコギト人から執拗に声をかけられたり、特定の施設周辺をうろつく彼らの姿が目撃されたりと、毎日どこかしらでトラブルが発生していた。このまま大きな事件に発展したら、コギト人によるものなのか、フラウド粒子によるものなのか分からなくなってしまいそうだ。フラウド粒子の影響を受けたコギト人が、より凶暴化するかもしれない。ややこしすぎる。ただでさえ訳の分からない星に苦しめられているのに、問題がどんどん山積みになっていく。悩みごとは増える一方だ。
緊張感が日ごとに高まっていく中、チユリさんがコギト人の被害に遭った。自宅周辺で道を聞かれた際、口頭で教えてあげたところ、分からないから案内して欲しいと言われたらしい。出勤するからと断ったら、突然怒りだし、ツバを吐きかけてきたのだ。通勤カバンが汚れたらしい。
出勤してきたチユリさんは、バッグを何度も消毒しながら「こんなこと初めてよ。イヤになっちゃうわよね」と苦笑いしていた。チユリさん自身にかからなくて良かったですね、と言う気にはなれなかったし、思わなかった。せっかくアオネのことから立ち直り始めていたのに⋯⋯プレトの中でぷつんと何かが切れた。黙ってやられているだけではダメではないか? みんなに呼びかけたほうがいいかもしれない。
プレトはクライノートを開き、プレパラート研究所の周辺でゴミが荒れていることや、同僚がコギト人からツバを吐きかけられたと投稿した。少し経つと、心配してくれるコメントがいくつか付いた。さらに、似たような目に遭ったという体験談も寄せられた。フォロワーたちが励まし合っているのを見守っていると、水を差すかのようにアンチコメントが増えはじめた。
『皆んなしてコギト人を槍玉に上げるとか最低』
『それって本当にコギト人なんですか? 本人に訊いたわけではないですよね?』
『差別とかいじめじゃん』
『ゴミの件は、近隣住民のマナーが悪くなっただけじゃね? コギト人関係あんの?』
『どうせ、ツバを吐かれるようなことを言ったんでしょ』
『故郷を追われてこの国まで来たのに、SNSで叩かれるなんてかわいそう。少人数側は排除される運命なんですね』
いやいや、そういうことじゃないでしょ⋯⋯マナー違反しないでと言っているだけだし、ツバを吐きかけるのは暴行罪に該当するはず。事実を述べて注意喚起したのに、こんな風に言われるのか。呆れ返ったプレトは、〈ワンルウ〉も投稿していることに気が付いた。わざわざ〈プレパラート〉の投稿を引用していた。
『働き手が不足している昨今、コギト人は重要な労働力となってくれています。彼らがこの国で幸福に暮らすためには、差別をなくし、彼らの文化を受け入れ、共生を目指さなくてはなりません。その過程で生じる変化により、痛みを伴う改革が必要になるかもしれません。今はまさに、過渡期特有のカオスと言っていいでしょう。これを乗り越えた先に、誰もが安心して暮らせる多民族国家が待っているはずです』
何を言っているのかよく分からないが、〈ワンルウ〉がコギト人の肩を持っていることは分かった。彼の投稿に反論することにした。
『実害を与えてくる相手と共生を目指せと言うのですか。こちらの文化を尊重してくれない相手を尊重するのは危ないですよね。同じ哺乳類という理由で、ライオンとウサギを同じ檻に入れるのは危険なように、差別をしているわけではなくて、区別しているだけです。我々はこの国で、コギト人はコギト国で暮らすのがお互いのためになるのではないかと思っています。実際、不法滞在しているコギト人を我々の税金で養う構図が出来上がっていますので、お互いの首を絞めるような共生は、最初から目指さない方が賢明だと思います』
長くなっちゃったなと思いつつも、投稿した。すぐに様々なコメントが書き込まれた。〈アネモネ〉や〈サバグル〉、アリーチェはクライノート上で賛同してくれたが、アンチが群がってきたため、〈プレパラート〉は差別主義者のレッテルを貼られてしまった。中には『差別するやつは殺す』というコメントもある。それを見たビケさんは、「その理屈が通るなら、差別する人を差別している彼は、彼自身を手にかけなくてはならなくなるのでは?」と首を傾げていた。
その翌日、郵便受けを開けたルリスが悲鳴を上げた。プレトが駆けつけると、割れた卵が入っていた。黄身と白身が混ざった状態になっているから、溶いてから流し込んだのかもしれない。中にある郵便物はベチャベチャだ。ほとんどがチラシだったので不幸中の幸いだったが、昼間にもおかしなことが起こった。
プレパラート研究所の四人が揃ってランチを済ませて戻ってくると、敷地に入ってすぐのところにハトの死骸が落ちていた。頭がなく、翼を畳んだ状態で仰向けに転がっていたのだ。最初に見つけたビケさんが三人に声をかけてくれたから、最後尾にいたルリスには見ないで済んだ。死骸は新しいが、周囲に血痕はなく、血も流れていなかったので、事前に血抜きをしているように見えた。偶然ではなく、誰かが意図的に用意したということだ。
そのまた翌日、ビケさんが、出勤するなりプレトに耳打ちした。
「今日って、レグルスは見ましたか?」
「庭に止めてるストライプのレグルスですか? いえ、まだ家から出ていませんので」
「また死骸攻撃されてるっぽいです。しかも、昨日よりグロいですよ」
ビケさんと二人で庭に出ると、レグルスのフロントに大きなカエルが乗っていた。腹を裂かれ、内臓が飛び出している。
「ウソでしょ⋯⋯」
プレトは思わず天を仰いだ。今の季節、こんなカエルは外をうろついていない。冬眠している野生のカエル、もしくは飼育下のカエルをわざわざ持ってきて殺したのだろう。
プレパラート研究所のメンバーで緊急会議を開いた。プレトは切り出した。
「今日もまた悪質な嫌がらせがあったのですが、コギト人から受けた被害をクライノートに書き込んだとたんに始まったので、それが原因かなと思います」
三人とも頷いている。プレトは続けた。
「犯人の心当たりは⋯⋯ありすぎて分かりませんが、コギト人か、コギト人擁護派か、その両方かなって予想してます。多分、皆さんもそうですよね?」
「わたしもそう思う」ルリスが答えた。
「私もよ」とチユリさん。
ビケさんが話しはじめた。
「わたしも同感です。一応、証拠写真は撮っていますが、警察に通報しますか? 届け出たところで相手にしてもらえない気もしますが⋯⋯」
プレトは頷いた。
「そうなんですよね。なので、通報はもうちょっと様子を見てからにしようかなと思っています。それで、提案なのですが⋯⋯チユリさんとビケさん、明日から数日間、お休みにしませんか?」
名指しされた二人は目を丸くした。プレトは説明した。
「嫌がらせがエスカレートしている気がするので、ここにいたら危ないかなって思ったんです。オンラインでもできることはありますし、今はムリに出勤しなくてもいいんじゃないかなって」
「プレトさんとルリスさんが心配だけど⋯⋯」チユリさんは本当に心配そうな顔をしている。
「私とルリスはいつも一緒にいますし、何かあったらすぐ連絡しますよ」
チユリさんとビケさんをなんとか説得し、明日からはそれぞれの自宅にいてもらうことにした。
その夜、ルリスが話しかけてきた。
「寝てる間にレグルスを壊されちゃうかな」
「あり得るね。レグルスどころじゃなく、窓とか外壁とか壊されるかもね」
「そしたら、どこかに逃げなくちゃ。誰かのところに行くと、その人が害を受けるかもしれないから⋯⋯山にでも行く?」
「山か⋯⋯寒空の下、テントで寝袋生活になるかな」
「くっついて寝ても凍えちゃうよ」
ルリスのか細い声が部屋中に響いた。
(第19話につづく)

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