
「あの、私たちはやっていません」
静かに、だがはっきりと口にした。このまま言われっぱなしになってはいけない気がした。
「まあ、やったとしても、やっていなかったとしても、そう言うよね」
ハギ警官は、一度ため息をついてから続けた。
「ここ数日の行動も教えてもらえるかな」
プレトは言われた通り、数日間の行動をできるだけ詳しく伝えた。ルリスとは毎日一緒にいるし、チユリさんやビケさんとも毎日のように顔を合わせている。プレトの発言に確証が欲しければ、いくらでも調査できるはずだ。
「だいたいこんな感じです。特に変わったことはしていません」
「そうですか。話は変わりますけど、ムーンなんちゃらとかいう物は今も売ってるんですか?」
「ムーンマシュマロです。直接注文を受けた分は自宅から発送していますし、スーパーとかに並んでいるものは、シュヴァリエ国が生産してくれている分で……」
プレトが話し終える前に、ハギ警官が口を開いた。
「そのムーンなんちゃらは、ほんとに効果あるの? ワクチンがどうたらこうたらって、SNSで騒いでるよね」
「ムーンマシュマロには、スパイク肺炎ワクチンの健康被害を打ち消す効果があります。SNSでは騒いでいるわけではなくて、定期的にワクチンの危険性を発信しているだけです」
「スパイク肺炎ワクチンってほんとに危険なわけ? おれも食べたけど、全然元気だよ」
「大丈夫な体質だったのかもしれませんね。運が良かったんだと思います。今後、もしも体調が崩れたら、ムーンマシュマロを食べれば治りますよ」
「覚えておくよ」どうでもよさそうな声色だ。「それとさ、クライノートでワクチン擁護派とレスバしてるよね。見かけによらず血の気が多いの?」
「悪質な中傷に言い返しているだけです」
「大人しそうに見える人の方が、カッとなったときに怖かったりするからね……人間関係でトラブルがあって、うっかり手にかけてしまったの?」
「いえ、人間関係でトラブルはありませんし、あの女性のことは全く知りません。私はやっていません」
「トラブルがないわけじゃないよね。家に不審者が来て通報したことがあるでしょ。誰かの恨みを買ったからそうなったんじゃないの? 自分では気が付いていなくても、恨まれやすくて気が短いトラブルメーカーっていうのは大勢いるからね」
「さっきからなんなの……」
呆れてしまった。プレトのことを、性格に難がある人物だと言いたいらしい。難がないとは言わないが、あなたよりはマシだ。そう言いたいのをぐっと堪え、冷静に話した。
「私はやっていません。ルリスも無関係です。女性と面識はありませんし、湖畔には雲と野草を採りに行っただけです」
その後もいくつか質問を受けた。第一発見者ではあるけど、前科もないのにここまで問いただされるものなのだろうか。遠回しに自白を勧められたときは、開いた口が塞がらなかった。
「とりあえず訊きたいことは以上です。お友だちと一緒に送りますね」
プレトは大きく息を吸い、少し止め、全て吐き出した。何か言ってやろうと思ったが、何も思い浮かばなかった。
ルリスと共に、パトカーで送り届けられた。ストライプのレグルスは、現場検証の一環で調べたいと言われたのだ。追加の取り調べが必要になった際も電話するとか言ってきた。
自宅に戻ると、二人ともソファに沈み込んだ。とんでもなく疲れた。岩のような疲労感がのしかかってくる。
「ルリスは体調とか大丈夫なの? 倒れたときにケガとかしなかった?」
「なんともないよ。むしろ、気絶したからちょっと回復したような気がする……怖かったよぉ」
ルリスが肩を震わせた。一連のことを思い出して恐ろしくなったのだろう。
「わたしたち、雲と雑草が欲しかっただけなのに、どうしてこんなことに巻き込まれたのかな。なんか悪いことしたあ?」
プレトはルリスの頭に手を置いた。モルモットを撫でるときのように優しく動かした。
「してないよ。悪いことなんか。巻き込んでごめん。私が一人でやればよかったのに、手伝わせちゃったね」
ルリスが少し落ち着いた表情で口を開いた。
「ううん。わたしがビビリなだけ。プレトはあの人を助けようとしたんだもん。正しいことだよ。プレトはずっと起きてたんだよね。辛かったね」
「うっかり吐いちゃったよ……吐くの、ドクププに刺された時以来かもしれない」
「吐くだけで済むとかすご……死体とか平気なタイプだっけ」
「平気なわけないでしょ。びっくりしすぎて漏らすかと思ったよ。でもルリスが倒れたからそれどころじゃなくなって、結局ゲボした。警察の質問も最悪でさあ……」
ハギ警官との会話をルリスに話して聞かせると、険しい顔になった。
「なんなのそれ、わたしの方は普通だったよ。特に意地悪なことは言われなかった。ちなみに、見たことない警官だったよ」
「そうなんだ。あの人は私たちのことを知ってるから、これを機に嫌味を言いたかったのかな」
「かもしれないね……やっばい一日だった……こんなのもうやだよ」
ルリスは両膝を抱え、顔をうずめた。どうしてあの女性はあんな状態になっていたのか。彼女の身に何が起こったのか。プレトたちは知る由もない。ルリスの頭をワシャワシャと撫でた。
翌日、出勤してきたチユリさんとビケさんに、昨日の出来事を話した。二人とも険しい顔をしていた。チユリさんは泣きそうになっていたし、ビケさんは白目を剥いていた。正常な感覚を持った人のリアクションだ。
「私たちに連絡してもよかったのに……でも、連絡もらっても力になれなかったか。よく頑張ったわね。二人ともすごいわ」
「聞いているだけで心臓が凍りつきそうですよ。ううっ、左心房の動きが鈍ってきた。その女性が亡くなっていたのは残念ですけど、お二人が無事でわたしは嬉しいですよ」
「しばらくは夢見が悪くなりそうですけどね……さっき警察から連絡があって、ストライプのレグルスを回収できることになったんです。プレトと一緒に行ってくるので、お留守番をお願いしてもいいですか」
「もちろんよ、行ってらっしゃい」
プレトとルリスはデザート号に乗り込み、湖畔に向かった。最初は雑談をしていたが、湖へ近付くに連れ、口数が減っていった。どうしても昨日のことが頭をよぎる。何もかも悪い夢だったと思いたかったが、湖付近にパトカーが止まっているのを見て、現実に引き戻された。あれは本当にあったことなのだ。
デザート号に関して質問されると面倒なので、目立たなそうな木陰に着陸した。ルリスの顔色が悪い。昨日の恐怖がぶり返しているのだろう。プレトは一人で降りることにした。レグルスまで歩いて行き、近くにいる警官に回収しにきたと伝えた。
「あの、現場検証は終わったんですか?」
「ほとんど終わりましたよ。今は最終チェックみたいなことをしています」
辺りを見回すと、ドラム缶は既になかった。もちろんあの女性も。
「亡くなられていた女性って、どなただったんでしょうか。どうしてあんなことに……」
「……自分の口からはちょっと、すみません」
「いえ、お疲れさまです」
軽く頭を下げ、レグルスの操縦席に乗り込んだ。携帯電話でルリスに連絡する。
「レグルスに乗ったよ。発進するから、合わせて飛んでもらえるかな」
「了解」
地上と空中で二手に分かれ、自宅に戻った。通話は繋いだままにしていたが、ルリスはほとんど喋らなかった。デザート号とレグルスを庭に停め、家の中に入ると、チユリさんとビケさんがモニターを観ていた。ムーンマシュマロの梱包用ステッカーを印刷していたようだが、二人とも手を止め、画面に見入っている。
「ただいまー、面白い番組でもやってます?」
「お帰りなさい。最新のニュースを観ているんだけど、これってもしかして、二人が発見した遺体のことかしら……」
モニターに目を向けると、昨日、湖畔で若い女性の遺体が発見されたとニュースキャスターが話していた。
「場所も日時もドンピシャなので、私たちが見付けた事件で間違いないですね。もう報道されてるんだ」
「ちょっと待って」ルリスが驚いたような声を出した。「自殺として報道してるの……?」
改めてニュースを観ると、アナウンサーは自殺として紹介していた。あれが自殺だって? 下着姿でドラム缶に閉じ込められていたのに、自殺?
「は?」気の抜けた声が漏れると同時に、みぞおちの辺りが重くなった。
(第4話につづく)
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