「部長補佐が隣国からのスパイというのは、ほぼ確定として⋯⋯これからどうしようね」
ルリスは口を尖らせて言った。
「隣国とか35日っていう企業について情報収集したらいいかな。というか、それくらいしかできないよね」
プレトはそう答えると、パソコンを起動させ、ネットサーフィンを始めた。しばらく続けていると、ある個人のブログが目にとまった。ブログ主はこちらの国の出身だが、仕事の関係で隣国と行き来しているらしい。何気ない日常の記録に時事ネタが混ざっていて、その中の一文が目にとまった。
『35日が、他国でもディユを流通させる計画を実行に移しているらしい』
ルリスを呼んでその記事を見せると、「えー」とイヤそうな声を漏らした。
「そんなことまで企んでいるの?」
二人でブログを流し読みしていると、ルリスが画面を指さした。
「この写真見て」
ルリスが示したのは、ブログ主のプライベート写真だ。映っている子供に見覚えがある。
「この子、あの少年かな……?」
「だよね、プレトのことを師匠って呼んでいる子。あの子の家族がこのブログを書いているのかな」
「この子のお父さんかも知れないね」
「前に会ったとき、お父さんはいなかったよね。もしかして、隣国に単身赴任でもしているのかな」
「少年に訊いてみようかな。うまくいけばお父さんと話ができるかも。さっきから調べているのに、35日についての情報があまり出てこないし、この調子だと埒が明かないから、隣国にいる人と直接話したほうが早いと思わない?」
「そうだね。お父さんと話せるかどうか訊いてみたらいいと思うよ」
プレトは少年に電話をかけた。数コール後、はつらつとした声が聞こえてきた。
「師匠じゃん、元気? あ、死んだフリしてるんだっけ」
「まあね。急なんだけどさ、君のお父さんって、隣国でお仕事してるの?」
「うん。行ったり来たりしてる。でも、なんで知ってるの? 師匠は千里眼なの?」
「違う違う。調べものをしてたら、君のお父さんのブログを見付けたの」
プレトはこれまでの経緯をざっと説明した。
「ふーん、それで父ちゃんと話したいってことか。ちょっと待ってて。ねえー、母ちゃーん」
少年の声が一度遠のき、すぐに戻ってきた。
「いいってさ」
「早っ。本当に?」
「母ちゃんは師匠たちのファンだからね。じゃあ、後で父ちゃんの連絡先を送るよ。父ちゃんにはぼくから話しておくね」
「ありがとう。そうだ。ムーンマシュマロって知ってる? スパイク肺炎ワクチンの悪い症状をなくせるお菓子なんだけど」
「クライノート見てるから知ってるよ。お菓子にしたの、ぼくのアイディアだし」
「欲しかったら送るけど、どう?」
「欲しい欲しい! 友達の親がワクチンのせいで寝込んでいるんだよ」
「了解。多めに送るから、困っている人に配ってあげてね」
通話が終わってから少し経つと、少年から電話番号が送られてきた。今日は休日だから、いつかけてもいいというメッセージも付いていた。
「さっそく電話してみる?」と、ルリス。
「うん、かけちゃおう」
送られた番号にかけると、すぐに男性の声が聞こえてきた。穏やかな柔らかい声だ。
「師匠さんですよね、息子がお世話になっています。事情は息子と妻から聞いています。姉弟子さんもいらっしゃいますか?」
姉弟子? 誰のことかと思ったが、どう考えてもルリスしかいない。少年はルリスを姉弟子と呼んでいるのか。ルリスもプレトの携帯電話に話しかけた。
「こんにちは。一緒に会話を聞いています」
「お二人とも元気そうでよかったです。とんでもない目に遭われているようですね。息子から聞いて、心配していたんです」
「なんとかやっています。それで、よければ35日が計画しているディユの流通について教えていただきたいのですが」
「簡単に言うと、そちらの国でディユを栽培して流通させるというニュースが流れています」
「こちらでは全く報道されていないです」
「ああ、やっぱり。情報統制されているようですね。食べたら体調を崩す体質って変わっていないですよね?」
「変わっていないです。今ちょうど、ディユが含まれたチョコレートで体調を悪くした人が続出しているところなんです」
「なんてこった。しかも奴ら、そちらの国で栽培したディユは、名前を変えて販売するつもりらしいです」
「なんていう名前ですか?」
「確か、サマーブロッサムだったと思います」
「えっ」
ルリスはそう言って、すぐに口を手で塞いだ。反対に、プレトは声が出なかった。レインキャニオンへの道中、密林で採取するように言われたものだ。少年の父親は話しつづける。
「ディユであるとバレないようにしたいのだと思います。そちらの国でディユを流通させるのは、テロ行為と言っても過言ではありませんから」
「テロ行為⋯⋯」
「国家規模で武器を使うとあからさまですからね。内側からこっそり国力を下げたいんですよ。こっちの国は不安定ですから、立場を守るために手段は選ばないのだと思います」
「なるほど⋯⋯教えていただけてよかったです。お時間ありがとうございました」
「いつでも連絡くださいね。応援しています」
通話を終えると、ルリスは混乱したように言った。
「ねえ、ディユとサマーブロッサムって全くの別物だよね? 教材でディユの写真を見たことがあるけど、プレトが見せてくれたサマーブロッサムとは似ても似つかなかったよ」
「どういうことなんだろう。よく分かんないや」
「わたしたちにサマーブロッサムを採取しろって言ってきたのは部長補佐だったよね? 食品研究チームからの依頼だという話だったと思うけど」
「よく覚えてるね。ここでも部長補佐が出てくるか⋯⋯一応、チユリさんにも話を訊いてみようかな」
プレトは思いつくと、すぐにチユリさんへ電話をかけた。
「あらプレトさん、どうしたの?」
「唐突なのですが、食品研究チームに何か動きがあったりしませんか? サマーブロッサム関係のこととかで、社内に共有事項があったりしないかなと思いまして」
「そういえばあったわ。サマーブロッサムの遺伝子組み換えに成功して、気候変動に強い品種ができたとか言っていたわね。食品研究チームと他の部署が共同で研究したらしいわ」
「品種改良ってことですか」
「そうね。でも、社内メールに添付されていた画像を見た限り、サマーブロッサムとは思えないような見た目をしていたわ。品種改良については詳しくないけど、あんなに大きく変化するものなのかしら。サマーブロッサムの特徴の蜜袋だって見当たらないし」
「その画像、送っていただけませんか。サマーブロッサムに関する怪しい噂を聞いたので、私も見てみたいんです」
「いいわよ。いま送るから、内緒にしててね」
チユリさんから画像が届くと、それを見たルリスの顔色がとたんに変わった。
「これ、ディユだよ! 間違いない! サマーブロッサムじゃないよ」
プレトの目にも、それはサマーブロッサムには見えなかった。サマーブロッサムは、桜に似た花をいくつか咲かせ、ガクから蜜袋を下げる植物だ。しかし、送られてきた画像の植物にはトゲがあり、どことなくアザミに似ている。気候変動に対応するためだとしても、サマーブロッサムの良さを全て消してしまうのは本末転倒だろう。
「二人とも、どうかしたの?」
「いま送っていただいた画像の植物なんですけど、どう見てもディユっていう隣国のスパイスで⋯⋯」
プレトは、ディユの危険性などについてチユリさんに説明した。
「それ、クライノートに書いてたわよね。この植物がそうなの?」
チユリさんの声から驚きが伝わってくる。
「信じてもらえないかも知れませんが」
「大丈夫、二人のこと信じてるわよ。サマーブロッサム自体、比較的新しく発見された植物らしいし、情報が少ないのを利用してディユとすり替えようとしているのかもね。私にできることはあるかしら。食品研究チームを覗いてこようかな」
「あまり目立つことをすると攻撃されるかもしれません。チユリさんがパラライトアルミニウムに沈められるのは絶対にイヤですし、所長もせっかく逮捕されたので、とりあえず研究所のことは刺激しないで、SNSで援護射撃をしていただけたら嬉しいです」
「了解よ。それにしても、わざわざ品種改良したってウソをつくなんて、最悪だわ。一緒にSNSを頑張りましょうね」
チユリさんとの通話を終え、プレトは口を開いた。
「隣国はどうしてこんなことするんだろ。バレたら大騒ぎになるし、かなりの悪手じゃない?」
「まあね。でも、私たちの国ではディユなんて知る機会がないし、サマーブロッサムの表記で食品とかに混ぜちゃえばバレっこないよ」
「確かに。でも、スパイク肺炎ワクチンとか、ディユとか、どれだけ毒物好きなんだよ⋯⋯」
プレトはため息をつき、ガクンと項垂れた。
(第82話につづく)
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