「警察の対応、どうだった?」
戻ってきたルリスに質問した。
「ありえない。本当にありえない。人員を総入れ替えした方がいいと思う」
ムーンマシュマロの販売を一旦諦め、帰りがてら警察署に立ち寄り、営業妨害をされた旨を訴えてみることにしたのだ。着ぐるみを脱ぐことができないので、ルリスが警察署にいる間、プレトはレグルスの中で待機していた。しかし、結局、適当に流されて終わったらしい。踏みつぶされたムーンマシュマロも実際に見せたものの、移動中に潰れてしまっただけだろうと、こちらが悪いかのように言われたらしい。プレトは、大きく吸った息を倍の時間をかけて吐き出した。
「所長たち、絶対に警察に根回ししているよね。お小遣いでも渡したのかな?」
「そうかもね。さあ、お家に到着ー」
着ぐるみを脱ぎ、フローリングに身体を横たえた。ひんやりしていて気持ちがいい。大量にかいた汗が冷めていくのを感じる。頭上から声が飛んできた。
「これからどうしよう。この街の中で手売りするのは厳しそうだし、他の街まで出向いたほうがいいかな」
プレトは、左頬を床につけたまま答えた。
「そうねえ……でも、悪人はレインキャニオンの方まで執拗に追いかけて来たし、どこで販売しても追い出されることになりそう。所長たちの守備範囲が広すぎるんだよね。こうなったら、オンライン販売でもしてみようか」
「ネットショップ作成サービスを使えばいいかな。業者を仲介するからショップには中傷コメントが来ないだろうし、登録してみるね。SNSでも宣伝しよう」
ルリスがサービスに登録し、ショップページを整えている間、プレトはクライノートで宣伝文を作ることにした。
「これから、ムーンマシュマロの、オンライン販売を、始めます……ぜひチェックして、ください……っと。こんなもんかな……おや?」
突然、クライノートの画面上に、見たことのない表示が現れた。
『ご利用のアカウントはクライノートの規約に違反している可能性があると判断されたため、リスト入りしました』
リスト? なんだそれ。ルリスがこちらに顔を向けた。
「一種類しか商品がないから、編集はもう終わったよ。これで、いつでも販売できるよ」
「ありがとね。ね、これを見てくれる? リストってなにか分かる?」
「なにこれ? 初めて見た。ちょっと調べてみる……えっと、シャドウバンって意味らしいけど」
「シャドウバン? シャドウバンって、一応アカウントは使えるけど、フォロワーにしか投稿が届かなくなる状態だよね。どうしてそんなことに」
詳細を確認すると、人為的に情報を隠蔽しているアカウントとして、クライノートに認識されたことが分かった。
「ウソでしょ? 私たちは何の情報も隠蔽していないってば。隠蔽しているのは、〈ゴライアス〉とその仲間たちでしょ! そっちをリストに乗せてシャドウバンしてよ! ていうか、一番情報を隠蔽しているのはクライノートじゃん!」
プレトは画面に向かって怒りをぶつけた。
「このリスト機能、つい最近アップデートで追加されたみたいだよ。まさか、わたしたちに対抗するためかな」
「私たちとフォロワーの投稿が拡散されるのを防ぐために追加したのかもしれないね。バンすると、あからさますぎて批判が集まるから、それを見越してシャドウバンしたのかもしれない……こんな変な機能を追加する暇があったら、もっと操作性をよくしてくれればいいのに。くそー!」
「数時間で解除されるケースもあるって出てきたけど、あまり期待できないよね。このままだと、ムーンマシュマロの宣伝ができないよ。フォロワー以外にも知らせて、スパイク肺炎ワクチンの被害者に食べてもらいたいのに……」
「どうしよう」
「どうしようね……」
家の中がしんと静まりかえった。寝室から、生き物たちが活動するカサカサという音だけが聞こえる。プレトはこの数日間を振り返った。果たしてどれだけの人を救うことができたのだろう。ワクチンの悪影響が現れる前にムーンマシュマロを食べた人もいたはずだ。そういった未然に防いだ分も含めて、何人救えた? 救えたこと自体は大きいが、ワクチン接種者の母数と比較すると余りにも少ない。ムーンマシュマロでみんなを助けることができると思っていたのに。確実に打てるはずのボールを空振りしたような気持ちだった。プレトは重い口を開いた。
「とりあえず、フォロワーには投稿が表示されるから、ネットショップのリンクを紹介しようか。どこかでフォロワー以外にも広まると信じよう」
「今はそれしかないよね」
ただでさえ『腎不全を引き起こす』とか『動物を虐待している』といった謂れのない誹謗中傷を受けているのに、ムーンマシュマロの効果を拡散できないとなると、ウソの情報を信じてしまう人が大勢出てくるかもしれない。誤解を解くことができなければ、その人はムーンマシュマロを遠ざけてしまうだろう。せっかくルリスが美味しく作ってくれたのに。〈アネモネ〉が善意でカスタードルフィンの真珠を譲ってくれたのに。どうして私はこんなにも無力なのか……頼りない自分の細腕が憎らしくなってきた。
ルリスがクライノートにショップのリンクを投稿している間、プレトは生き物の世話をした。ウサギとモルモットに餌をやり、ケージから出して寝室を歩かせた。動物実験も終わったことだし、スカイフィッシュは放してやろう。そう思って窓の外に出してあげたが、何度も戻ってくる。プレトに懐いてしまったのだろうか。
「実験に協力してくれてありがとう。これからは自由に過ごしなよ」
そう伝えるやいなや、スカイフィッシュがプレトの服に襟から侵入した。
「わかったわかった! 家にいていいから! くすぐったいって!」
スカイフィッシュと揉み合っていると、リビングからルリスの叫ぶ声が聞こえてきた。
「プレトが沈められてるー!」
なんのことだろう。生き物たちをケージに戻し、ルリスのもとへ向かうと、携帯電話の画面を見せられた。そこには、パラライトアルミニウムのタンクに入れられた自分の姿が映し出されていた。
「プレトが溺れちゃうよ!」
「すでに助かっているから安心して。これって数日前の映像だよね。なんでこんなものが?」
「さっきね、〈アネモネ〉さんがDMでこの映像を教えてくれたの。クライノートだけじゃなくて、他のSNSとか動画投稿サイトにもアップされてるらしいよ」
「知らない間にこんなことになっていたのか。でも防犯カメラは止めてあるとか言っていた気がするけどな……あ、そうか! 助け出してくれたあの女が撮影していたのか!」
映像は鮮明で、プレトが死にかけのフナのような顔で怒鳴っている様子が映されていた。会話の内容もきちんと録音されていて、周りにいた取り巻きの顔もきちんと判別できる。口封じの常套手段として、貯蔵施設を使っているという話もはっきりと聞き取れた。
「この映像を投稿したの、部長補佐たちだと思う。電話してみようかな」
プレトは部長補佐に電話をかけた。
「私がパラライトアルミニウムに沈められている映像が投稿されているのですが……」
「僕が投稿しました」と、部長補佐は惑うことなく言った。「すごい反響ですよ。先日、プレトさんの個人情報が流出したこともあって、『陰謀論者のレッテルを貼られている人が酷いことをされている』と大きな話題になっています。沈められた甲斐がありましたね」
「このタイミングで映像を公開したのはなぜですか?」
「ケーゲルの工場に転職させられた元研究員たちを探し出し、聞き取り調査をしたのですが、それが一通り終わったからです。所長に反撃する用意ができました。被害者の皆さん、泣き寝入りするしかない状況から解放されると言って喜んでいましたよ」
「そうでしたか……でも、本当に反撃できますか? ケーゲル密売の帳簿を公表したときは、うまく煙に巻かれてしまいましたけど」
「今度こそ終わりです。というか、終わらせます。プレトさんを殺そうとした映像が多くの人の目に触れたわけですし、被害者たちの証言もあります。密売の証拠は既に公になっているので言い逃れはさせません」
「本当ですか?」
「本当です。いくら警察に賄賂を渡したところで世論が許しませんから、必ず罰を受けることになるでしょう。あとはこちらに任せてください」
通話が終わると、ルリスが泣きそうな顔をして言った。
「これでやっと所長も終わりだね。随分と長い道のりだったね」
「うん……まあ、実際に逮捕されるまで安心はできないけど、所長たちがこれ以上、悪事を働けないようになればいいな」
安堵の溜息をつき、話しつづけた。
「さて、私たちはムーンマシュマロをどうにかして流通させないとね」
「あ、そうだった」
ルリスの涙が引っこんだように見えた。
(第75話につづく)
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