原爆投下から1年経った広島の風景が、最新AIによってカラー化され、大きな注目を集めています。
以下は、爆心地からほど近い、広島市内の様子を撮影したものですが、放射線によって汚染されたはずの街に多くの人々が集まり、病気にかかることもなく元気に活動しているのが分かります。
「広島駅前食堂」という看板が
市内の中心部でしょうか原爆投下から1年
これが放射能で汚染されたと言われる町
被ばくした方々です。やはり
「原爆」「放射能」は嘘
「平和都市広島」は洗脳の発信地です。https://t.co/UoLAD2kuKJ
放射能は存在しないhttps://t.co/UxbHdphY5z https://t.co/N3g05QqK4o— chasuka (@chasuka31320945) May 4, 2024
1945年8月6日、アメリカ軍による原爆投下で爆心地周辺の地表面の温度は3000~4000度に達し、約1.2km以内にいた人々は熱線で皮膚が焼かれ、内臓までも障害を受け、ほとんどの人が死亡したとされています。
原爆から発せられた放射線により、広島市内にいた人だけでなく、家族や親戚などの捜索や救護活動のために市内を訪れた人々も様々な病気を発症したり、死亡したと言われてきました。
また、1945年8月8日付けのワシントンポストには、原爆の製造に関わった博士の談話として「広島の土地に75年は草木もはえぬ」とも掲載されました。
しかし、これまで何度も述べてきましたように、放射能はこの世に存在せず、被爆による健康被害とされているものも全て、タールなどの化学物質や熱線の影響である可能性が高いことがRAPT理論によって暴かれています。
○ RAPT×読者対談〈第56弾〉原発も原爆も存在しない。(前編)
○ RAPT×読者対談〈第57弾〉原発も原爆も存在しない。(後編)
実際に、原爆投下からわずか3日後には、街の復旧が開始され、市内を走る路面電車の運行も再開されました。
◯路面電車が被爆から3日以内に動き始めたと聞いたがどうやって動いたの?誰が運転してどういった人が乗車したの?
広島市によると、原爆が投下されて間もなく、大阪に駐留していた「東京電信隊」約40人がただちに現地へ送り込まれ、路面電車と線路の復旧作業を迅速に行い、原爆投下から2日後の8日には試運転に漕ぎつけたそうです。
電信隊の活躍はめざましく、翌9日には、生き残った運転士らによって電車の運行が再開される運びとなりました。
こうした様々な情報からも、原爆投下直後の広島では、放射能による被害が全くなかったことがよく分かります。
歴史の捏造を繰り返してきた悪人たちが一掃され、真実の情報が満ち溢れる世界となりますことを心から祈ります。
◯【放射能は存在しない】原爆被爆者を親に持つ「被爆2世」に遺伝的な影響は認められないとの判決 被爆2世にも国は援護すべきだと控訴するも「長崎2世」が敗訴
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